
引用元: ・忘れたくないから語る
背が高くて、頭が良くて、運動もそこそこ。みんなに好かれてる人間だったと思います。
ちなみに女の子でした。俺は同クラで席が近かったんで、日本に慣れてない彼女の手伝い
とか質問に答える役割してました。
ユーモアもあって、いっつも笑ってて「あっ陽キャってこれのことね……」みたいな子で。
でもオタクや陰キャのことをバカにしない、いい子でした。
っていうかあの子が何かをバカにしていたとか、そういう記憶がないんですよね。男子の
おふざけに便乗して「流石にキモいぞー!」って言ってたくらいです。
あの子、体調不良って言って保健室に行って頻繁に泣いてたんです。一回扉越しに泣い
てるの聞いたことがあるんですが、
「日本になんか来たくなかった」
「帰国子女みんなが英語喋れるわけじゃない」
「なんで日本と〇〇(あの子が行ってた国)の仲が悪くなっただけで私も悪口言われな
きゃいけないの」
「学校は好きだけどクラスメートと話すのが辛い」
「他の誰かと一緒にいるのが辛い」
エリート街道進んで欲しい、みたいな感じの人だったらしくて、あの子はどんなに辛くて
も学校を休むことはできなかったそうです。
いわゆる毒親ですよ。逆らったら殴る蹴る当たり前だったらしいです。
それでその子は、中学が終わる前に自宅で首をつってしんじゃいました。あの子の父親が
おおごとにしたくなかったそうで、学校でも発表されたりはしませんでしたが。
遺書に俺の名前があったそうで、俺はあの子の私物をちょっとだけ見せてもらえました。
精神的に限界が来てたんだと思います。
そのノートを見て涙が止まらなくなってるときに、あの子のお兄さんが「内緒だよ」って
遺書を読ませてくれました。お兄さんの目元が真っ赤になってたのを今でも思い出せます。
「恵まれた環境に産んでくれてありがとう、お母さん。
その恵まれた環境を作ってくれてありがとう、お父さん。
お兄ちゃんは相談に乗ってくれてありがとう。
クラスメートのみんなも、私にはもったいないくらいいい人ばかりでした。
先生方も優しくしてくれたし、前の学校との違いに悩んでいると、いつも助けてくれて、
話も聞いてくれたりしました。ありがとうございました。
それからクラスメートのフレンズくんは、特に仲良くしてくれて、おかげでここまで
やってくることができました。
これが読まれてるってことは私が死んでいる、ということでしょう。
私が死んだのは私の責任です。ご迷惑をおかけします。」
中学生らしくない、しっかりしすぎた文だなって。
それがあの子らしいなって、涙が止まりませんでした。今も微妙に泣いてます。
もう君みたいに苦しむ子供がいなくなるよう、僕は頑張ります。
今年はお盆に行けなくてごめんなさい。
それから今更ですが、ずっと好きでした。
悲しい過去をお持ちで、しかも前向きにがんばってるんやね
すごいや